太宰府と文芸

太宰府には、古くより豊かな文芸の土壌があり、当地で詠まれたか、あるいは当地へ思いを馳せて詠まれた和歌や俳句・詩などの作品が、現在に多く伝わっています。ここでは、市内に点在している、こうした作品を石に刻んだ文学碑についてご紹介します。(今後情報を追加する予定です)

山上憶良歌碑「妹が見し楝の花は散りぬべし…」



石碑所在地:大町公園、歴史スポーツ公園、太宰府メモリアルパーク
(写真の歌碑は大町公園のもの)

妹が見し 楝の花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに (巻五 798)
(妻が見た楝の花はもう散ってしまいそうだ 私の泣く涙はいまだ乾かないのに)

 この歌は、歌人として知られる山上憶良が、妻を亡くした大伴旅人の悲しみを旅人に代わって詠んだ「日本挽歌」の中の一首です。長歌と反歌五首で構成されており、末尾の説明から神亀五年七月二十一日の作だと分かります。
旅人の妻・大伴郎女(おおとものいらつめ)の喪を弔った歌は「日本挽歌」だけではなく、式部大輔(しきぶのたいふ)・石上堅魚(いそのかみのかつお)が詠んだ
       ほととぎす 来鳴きとよもす 卯の花の 共にや来しと 問はましものを (巻八 1472)
という歌もあります。この歌の注には、神亀五年に大伴郎女が病気で亡くなったこと、勅使として石上堅魚が大宰府に遣わされ香典の品が下賜されたこと、その後勅使と大宰府の諸卿大夫が記夷城(きいのき=基肄城)に登った日に、この歌を詠んだことが記されています。
   また、旅人自身も郎女への思いを詠んでおり、
       橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き (巻八 1473)
からは、旅人の深い悲しみがうかがえます。


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