学芸だより

~牧野富太郎と万葉植物図譜の梅~

   元号「令和」は、天平2年(730)に大宰帥・大伴旅人が官人たちを招いて開いた「梅花の宴」を典拠に誕生しました。宴で詠まれた32首は『万葉集』に収められ、全ての歌が梅を題材にしています。梅は中国から伝えられ、大陸の先進文化を象徴する高貴な花として愛され、『万葉集』の中でも122首と、萩に次いで多くの歌に登場します。
   植物の和名の起源に強い関心を抱いていた植物学者・牧野富太郎(1862-1957)は、戦前、万葉植物の図と解説をまとめた「万葉植物図譜」を計画していました。目録に「うめ」の名もあるものの、図は残されていません。そこには、はたして日本に自生する梅はないものか、牧野が確認することを自身の課題としていた背景があります。野生地を求めて豊後や日向で調査を行った結果、梅は日本の固有種ではないと確信を得た頃、日本は戦争の時代へと向かい、梅の作図は図譜の発刊とともにまぼろしとなったのです。            
学芸員 井上理香