学芸だより

坂本八幡宮の幟(のぼり)の修復

  大宰府政庁跡の北西、四王寺山へ登る道筋に坂本八幡宮があります。その設立の由緒は明らかではありませんが、各地の村落に祀(まつ)られている八幡宮と同様に、宇佐八幡宮に関連して勧進(かんじん)されたと考えられ、『福岡県神社誌』には天文・弘治の年代が見えます。後に産土(うぶすな)神として坂本の人々の信仰のよりどころとなり、現在では太宰府天満宮から社人を迎えて祭祀(さいし)が行われています。  先日、明治時代に作られた坂本八幡宮の幟(のぼり)、大4本・小2本が、坂本区公民館の倉庫の中から見つかりました。50年位前までは実際に使われていましたが、長い歳月の間に傷みが進んでいたため、地域の大勢の人々の手で破れが繕(つくろ)われ、紐(ひも)が付け直されました。見事によみがえった幟は、4月9日(日)の区の「春ごもり」に合わせてお披露目が行われました。  当日、神事に集まった坂本区民は150人。政庁跡に連なる桜霞の中、雄渾(ゆうこん)な墨痕をゆるい春風にひるがえす幟の姿にため息が漏れます。幟にはそれぞれ、 「歳無万物水遂生国豊」「俗淳百姓皆安業已歓」 「廟祠猶對奮山河」「(老)樹暗銷新歳月」 の文字が書かれ、100年前の人々のつつましくも心豊かな暮らしへの祈りが偲ばれます。  幟の下では、老人会をはじめさまざまなグループの直会(なおらい)が始まり、いつしか笛の音も流れてきました。こうした集まりも一時は途絶えていたとのことですが、地域の力でお宮は再び賑わいを取り戻し、幟も人々の輪の中で誇らしげにはためいていました。これから、文字通り坂本地区の旗印となっていくことでしょう。


坂本八幡宮によみがえった大幟4本。


「廟祠猶對奮山河」の文字が書かれた幟。解読には市史資料室職員が当たりました。


神事のあと、幟の下で直会のようす。