学芸だより
太宰府市文化ふれあい館オリジナル 拓本Tシャツ完成!
このたび開館10周年を記念して、特別展「拓本でたどる保存の心」〈会期:9月16日(土)~11月5日(日)〉にちなみ、太宰府ならではのオリジナル拓本Tシャツを作りました。
これは、市内の石碑から採った拓本の文字をプリントしたもので、「太宰府」と「観」の2種類があります。プリントした拓本は、文化ふれあい館で開館時に開講した拓本講座から巣立った「拓友会」の皆さんの手で採られたものです。
「太宰府」の文字は、大宰府政庁の正殿跡に立つ3基の石碑のうち、向かって左の「太宰府址碑」からとりました。碑銘は、明治政府の最高指導者の一人・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の手によるもので、石碑上部の額のように見える部分に、篆書(てんしょ)体で刻まれています。明治13(1880)年に建てられたこの石碑は、大村藩出身の福岡県令・渡辺清の文章を、当代きっての書家・日下部鳴鶴(くさかべめいかく)が書いたものです。
「観」の文字は、観世音寺の寺号碑からとりました。見る者に一目で深い印象を残す独特な文字は、福島県須賀川市の妙林寺住職・張堂大龍の書で、岩手県平泉の中尊寺金色堂の標柱を書いたことでも知られます。明治9(1876)年に生まれ、弱冠31歳で入木道正統四十六世を継いだ大龍は、この頃から全国行脚の旅に出ます。大正3(1914)年の観世音寺での揮毫も、太宰府および福岡・博多での知遇を得て行われたもののようです。
今回、それぞれの石碑から文字の一部を白いTシャツに染め、拓本の墨の香気とともに皆様のお手元にお届けします。
街のあちこちで見かける石碑は、先人の思いを刻んだ貴重な文化財の一つ。見つけたら、ぜひ足を止めて太宰府の歴史と文化の一端に触れてみてください。
これは、市内の石碑から採った拓本の文字をプリントしたもので、「太宰府」と「観」の2種類があります。プリントした拓本は、文化ふれあい館で開館時に開講した拓本講座から巣立った「拓友会」の皆さんの手で採られたものです。
「太宰府」の文字は、大宰府政庁の正殿跡に立つ3基の石碑のうち、向かって左の「太宰府址碑」からとりました。碑銘は、明治政府の最高指導者の一人・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の手によるもので、石碑上部の額のように見える部分に、篆書(てんしょ)体で刻まれています。明治13(1880)年に建てられたこの石碑は、大村藩出身の福岡県令・渡辺清の文章を、当代きっての書家・日下部鳴鶴(くさかべめいかく)が書いたものです。
「観」の文字は、観世音寺の寺号碑からとりました。見る者に一目で深い印象を残す独特な文字は、福島県須賀川市の妙林寺住職・張堂大龍の書で、岩手県平泉の中尊寺金色堂の標柱を書いたことでも知られます。明治9(1876)年に生まれ、弱冠31歳で入木道正統四十六世を継いだ大龍は、この頃から全国行脚の旅に出ます。大正3(1914)年の観世音寺での揮毫も、太宰府および福岡・博多での知遇を得て行われたもののようです。
今回、それぞれの石碑から文字の一部を白いTシャツに染め、拓本の墨の香気とともに皆様のお手元にお届けします。
街のあちこちで見かける石碑は、先人の思いを刻んだ貴重な文化財の一つ。見つけたら、ぜひ足を止めて太宰府の歴史と文化の一端に触れてみてください。
▲「観」と「太宰府」のTシャツ。 S・M・L、各種2,000円。 文字が背中にプリントされたものもあります。 ▲観世音寺の寺号碑 ▲太宰府址碑 |