学芸だより

電気洗濯機の登場

 この春、水城小学校から40年以上前の洗濯機が寄贈されました。これを機に、日本の洗濯機の歴史や洗濯事情について考えてみたいと思います。

その1 “国産電気洗濯機”事始め
 日本で初めて造られた電気洗濯機は、昭和5年に東芝が発売したもので、価格は370円。銀行員の初任給が70円でしたから給料の5倍以上もしたのです。あまりに高価なこと、人手が足りていたこと、戦争が始まったことなどから製造中止になってしまいました。
 本格的な生産が始まったのは、戦後の昭和22年のことです。初めは、占領軍家族向けの発売でしたが、山のような洗濯物を日本人メイドが手洗いで片づけたので納入打ち切りとなり、日本人向けに切り替えました。しかし高価なことは変わらず、「だらしない女が機械に洗濯をさせるのだ」という風潮もあって、またしても売れませんでした。しかも世の中は配給時代で石けんにもことかき、洗濯機用の粉石けんが製造されたのは5年後のことでした。やがて家事の省略化という意識の変化に伴い、新機種が開発され続け普及していくのです。
今回寄贈された洗濯機は、昭和39年頃製造のブラザー工業製で、ちなみに当時の家電製品中もっとも普及率が高かったのはテレビの88.7%で、次いで洗濯機の66.4%、冷蔵庫は39.1%でした。

その2 “衣服革命に及んだ洗濯機の普及” 
日常的には和服姿を見かけなくなりましたが、その理由には仕立てや手入れに手間がかかること、着付けが複雑であること、和装には費用がかかりすぎることなどがあげられます。さらに洗濯ともなると、洗って汚れを落とすという単純な作業ではなくなり、衣類の素材や染色や仕立てによって分別し、それに合った手当をしなくてはなりません。石けんも使い分けを要し洗い方も一様ではないので、専門家の手を借りることになります。当然、和服は着たいが、家で簡単に洗いたいという思いが生じるでしょう。
昔の家事労働の最たるもの、それは洗濯といっても過言ではありません。高温多湿気候で農業国だった日本では、たくさんの洗濯物が出ましたが、水は大量に汲まなくてはならず、時間はかかり、天候には左右され、では毎日洗えません。洗濯をしてくれる機械が普及していくのは自然の成り行きでした。そのうち、洗っても型くずれや色落ちしない素材とデザインが求められ、現在では、洋服のみならず和服さえも洗濯機に耐える素材の物が開発されています。ゴロゴロ回っている洗濯機に和服をポイと投げ入れるのを見たら、一昔前の人たちは驚異の目を見開くことでしょう。
1台の洗濯機からこのようなことを考えるのも興味深いことではないでしょうか。



手動式ローラー絞り機付電気洗濯機(ブラザー工業製・約43年前)
手前のハンドルを回すと右のローラーの間から洗濯物が絞られて出てくるしくみ。