学芸だより

端午(たんご)の節句の行事食~チマキのなぜなに~

 端午の節句に食べられる「チマキ」は、古代中国の「屈原(くつげん)」の伝説が起源と言われています。
今から約2300年前、楚(そ)の国に屈原という優秀な政治家がいました。しかし、陰謀により失脚し、国を追われる身となります。国の将来を憂いた屈原は、5月5日に川に身を投げました。人々は、屈原を哀れみ、霊を慰めるため、米を入れた竹筒をマコモの葉で包み、魔よけの力がある赤・青・黄・白・黒の5色の糸で縛って、毎年、命日に川に流しました。これが、チマキの始まりとされています。その後、5月5日にチマキを食べる食文化が中国で定着し、日本には平安時代に、端午の節句の行事と共に伝わりました。

太宰府でも、端午の節句の日に、各家でチマキを作って食べていました。また、神棚や天井にチマキを吊しておき、雷の日に固くなったチマキを七輪で燃やすと、家に雷が落ちないとも言われていました。こうした風習からも、チマキが特別な食べ物と考えられていたことが分かります。