学芸だより

衣掛神社 その1 -お宮のゆかり-

 菅原道真ゆかりの衣掛神社(写真1)は、国の特別史跡・水城跡にほど近い国分地区に位置し、現在17件の氏子により、守り伝えられています。神社のいわれは複数あり、江戸時代に描かれた『筑前名所図会』には  
衣掛天神 國分村にあり 菅公此村にて衣服を改め、石に懸給ふと云傳へたり、社ハ  山の傍一段高き 所にあり、石ハ前なる樹木の下にあり、今ハ人家の 後となれり
と記されています。また、『筑前国続風土記』には
衣掛天神 國分村の境内、水城町の南なる田の中に あり。菅公宰府に趣き玉はんとて、此所にて衣服を改め、其れなれきぬを脱て、掛させ玉ひし石とて今にあり。故に其側に小き社を作りて、衣掛天神と號す。
とあり、道真が大宰府に配流されてきた折、国分の地で装束を着替えるために、石に衣を掛けたことが、衣掛神社のおこりとなったという同一の解釈であることが伺えます。この他、『太宰府市史』には「松の枝に衣を掛けた」という伝説も併せて紹介されています。 松の木は残念ながら昭和28年に枯れてしまいましたが、幾つかの扁額に加工されて今でも見ることができます。(写真2)この松は、地元の人だけではなく、商人や旅人の目印にもなっており、小学校の『郷土讀本』にも触れられていたほど象徴的なものでした。この本によると、衣を掛けたのは小さな松であったと記述されています。
神社の主な行事は、新春の「ほんげんきょう」(どんとやき)、春ごもり、夏の「よど」、秋ごもり(宮座)、年末の焼納祭があり、四季を通じて行われています。昨今は氏子の数が減り、行事を支えていくのがだんだんと難しくなっている中、世話役の方々は多くの人が参加しやすくなるよう様々な工夫を凝らし、行事を伝える努力をされています。 中でも、一番の行事は秋ごもりの宮座です。昔は、男性は紋付き袴、女性は着物、年功序列に座るなど、様々な取り決めがある非常に格式の高い行事でした。
次回は、この宮座についてご紹介しましょう。

出典 『太宰府市史民俗資料編』 編集太宰府市史編さん委員会    平成5年4月1日
       『筑前国続風土記』      貝原篤信                昭和48年9月30日
       『筑前名所図会』        奥村玉蘭・田坂大蔵          昭和60年12月25日
       『郷土讀』中巻                 八波則吉先生校閲 筑紫郡水城尋常高等小学校 昭和12年11月1日
       (写真1)衣掛神社正面    (写真2)衣掛神社縁の松の扁額