学芸だより

真綿と紫草


   最近、ふるさと納税の特典として地方の特産品に注目が集まっているようです。また、地域おこし・まちおこしの一環として特産品のブランド化が進められているところもあります。
こうした地方の特産品は、実は古く奈良時代からあったのですが、それでは九州(当時は西海道と呼ばれた)の特産品は何だったのでしょうか?その代表としてしばしばあげられるのが真綿であり、紫草なのです。
   ここで注意しなければならないのは、他の国々の特産品などは都へと運ばれていましたが、西海道諸国の場合はちょっと事情が違っていたことです。それは、日本の外交や軍事に関わり、また西海道全体を治める役割をもつ大宰府という役所が置かれていたからです。西海道諸国の場合、それらは一旦、大宰府に集められて、基本的にはその運営費用に充てられ、一部が都に送られることになっており、そのひとつが真綿でした。真綿が都に運ばれていたことは記録から知られていましたが、平城宮跡(奈良県)や大宰府史跡から出土した木簡(墨で文字が記されている木札のこと)によって、九州内では福岡・大分・佐賀・熊本など、その生産地も分かってきました。
   一方、紫草はおもに染料に用いられました。これも大分に「紫草園」があったことが知られていましたが、やはり木簡によって福岡・熊本・鹿児島でも生産されていたことが分かってきました。
   文化ふれあい館では、2月から「太宰府歴史トピック展示」で、真綿と紫草に関する展示を行う予定です。ぜひご来館ください。