学芸だより
高浜虚子の太宰府俳句
2019年は、俳人・高浜虚子(たかはまきょし)が亡くなって60年を迎える年です。正岡子規(まさおかしき)に師事した虚子は、ありのままの自然や人事を客観的に詠む「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」を提唱し、俳句の普及・指導に尽力した人物です。俳人として初めて文化勲章を受章するなど近代俳句を語る上で欠かせない虚子ですが、ここ太宰府へも数度訪れ俳句を詠んでいます。
初めての来訪は大正6年(1917)10月のことで、句会への出席のため福岡の地を踏んだ虚子は太宰府へ立ち寄りました。吉岡禅寺洞(よしおかぜんじどう)や清原枴童(きよはらかいどう)ら福岡の俳人達の案内で太宰府天満宮や観世音寺、大宰府政庁跡を遊覧した様子は、俳句雑誌「ホトトギス」に「みな観世音」と題して綴られています(大正7年1月)。政庁跡では、案内人達から歴史解説を受け、古代に天智天皇が国防のため水城を築いたことなどへ思いを巡らせます。虚子は澄み渡った夜空を振り仰ぎ「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」という句を詠みました。この句は石に刻まれ、政庁跡前朱雀通り沿いにその姿を見ることができます。
学芸員 髙松麻美