学芸だより
「大宰府史跡指定100年」
「遺跡」とは、過去の人間活動の痕跡が見られる場所を指し、そのなかでも歴史的・学術的価値が高いものは国などにより「史跡」に指定され、公的に保護されていきます。大正10年(1921)3月、史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき、48件の遺跡が日本で初めて史跡指定を受けました。その際の官報告示の筆頭に登場するのが「水城跡」「大宰府跡」で、今年度は史跡指定から100周年にあたる記念の年です。
史跡指定以前、大宰府跡でいえばその中心的な場所である大宰府政庁跡に見られた礎石や古瓦への破壊、持ち帰り行為も、ごく自然に行われていました。明治時代の文豪・夏目漱石が詠んだ俳句に、「都府楼の瓦(が)硯(けん)洗ふや春の水」というものがありますが、都府楼の瓦硯とは、大宰府政庁に葺(ふ)かれていた屋根瓦を硯(すずり)に加工したもののことです。江戸時代に書かれた地誌『筑前国続風土記』には、大宰府政庁跡には古代の瓦が多く残っており、これを用いた硯を持っている人も多くいるとあります。のちに書かれた『筑前国続風土記附録』では、以前は古瓦が多く見られたものの現在では稀(まれ)であること、また『筑前国続風土記拾遺』では、稀に見つかる古瓦を、書画をたしなむ人などが硯の材料や文鎮として珍重していることが読みとれます。
指定を受けたことで、大宰府政庁跡は史跡公園として整備が進み、歴史を感じさせてくれる場所、憩いの場所として現在多くの人々に大切にされています。
学芸員 髙松麻美