学芸だより
市内に残る絵師たちの足跡~えびすさま
太宰府には、秋月藩のお抱(かか)え絵師を務めた後、晩年を太宰府で過ごした齋藤秋圃(さいとうしゅうほ)(1772-1859)に師事した二つの町絵師の家系があります。一つは宮町の吉嗣(よしつぐ)家で、初代の梅仙(ばいせん)(1817-96)、二代の拝山(はいざん)(1846-1915)、三代の鼓山(こざん)(1879-1957)を輩出しました。もう一つは大町の萱島(かやしま)家で、初代の鶴栖(かくせい)(1827-78)、二代の秀山(しゅうざん)(1858-1938)、三代の秀岳(しゅうがく)(1886-1939)・秀峰(しゅうほう)(1901-73)兄弟、四代の秀渓(しゅうけい)(秀山の長男、1934-2008)と画系が受け継がれました。
太宰府市内には約30体のえびす石神が祀られていますが、商売繁盛や五穀豊穣、宿場守護などを願って、地域の人々の手で大切に守られてきました。石像のほとんどは石に線彫りされたものですが、その原画をはじめ、12月3日を中心に行われる「えびす祭り」の直会(なおらい)(祭りの最後にお供えをいただく行事)の席で掛けられてきた掛軸にも、太宰府の絵師たちの作品が数多く残されています。
学芸員 井上理香
(左)三条町に建つえびす石像(吉嗣梅仙筆)
(右)溝尻に伝わったえびす像の掛軸(萱島鶴栖筆)