学芸だより

『九州下向記』に記された太宰府の名所


   豊臣秀吉の側近であった石田三成は、慶長3年(1598)に、筑前国(福岡県)の管理者としてこの地に赴任しました。これに随行した是齋重鑑(
ぜさいしげかね)が著した紀行『九州下向記』には、重鑑が太宰府の名所を訪れたことが記されています。
   それによると、三成がこの九州行きを機会に、行く先々の名所を巡ることを考えていたため、重鑑はこれにお供する形で、5月29日に京を出発しました。
   道中方々を見物しつつ、6月27日に太宰府を訪れた重鑑は、菅原道真の漢詩「不出門」に登場する都府楼跡と観世音寺を訪ねており、都府楼は跡形も無く、観世音寺は鐘の音は変わらないものの、境内は荒廃していた様子を記しています。また、太宰府天満宮についても、戦の影響で荒れていた境内の廻廊や鐘楼などを、三成が九州に滞在中のこの時期に再興を指示したことが、同書に綴られています。
   『九州下向記』からは、長らく続いた戦乱の傷跡が各所に残っていた16世紀末の太宰府の様子や、戦国武将の天満宮復興についてうかがい知ることができます。

学芸員 松村 和