太宰府と文芸

和歌・俳句・詩・小説・紀行文など、太宰府を題材として取り扱った作品は数多く存在しています。それらの作品は、古い時代の太宰府の姿を教えてくれる手がかりともなり、作者の描写からは「太宰府」がどのようにイメージされているかを、知ることもできます。ここでは、太宰府ゆかりの文学作品について広く捉え、ご紹介します。(今後情報を追加する予定です)

太宰治(だざいおさむ)「猿塚」 / 井原西鶴(いはらさいかく)「人真似は猿の行水」



   昭和を代表する作家・太宰治が書いた小説には、太宰府が舞台として登場する作品があります。それは短篇集『新釈諸国噺(しんしゃくしょこくばなし)』におさめられた「猿塚」という話です。物語のあらすじは、次のようなものです。
太宰府で酒屋を営む白坂徳右衛門には、美人なことで評判のお蘭という娘がいました。お蘭は隣町に住む質屋の若旦那・桑盛次郎右衛門と恋仲になりますが、両家の宗派の違いから二人は鐘崎(宗像市)まで駆け落ちすることとなります。二人を心配してついてきたのは、お蘭が可愛がっていた猿の吉兵衛でした。一家に長男の菊之助が生まれると、吉兵衛は子守りをするなど甲斐甲斐しく振る舞いますが、お蘭を真似るつもりで誤って熱湯を張ったタライに菊之助を入れてしまいます。吉兵衛は菊之助の墓参りを百日欠かさず実行したのち自ら命を絶ち、お蘭と次郎右衛門は菊之助の墓の隣に吉兵衛の塚を建て、度重なる悲しみから出家し旅立つのでした。

    実はこの作品は、江戸時代の浮世草子作家・井原西鶴が書いた『懐硯(ふところすずり)』のうちの1作「人真似は猿の行水」を翻案したものです。『懐硯』は旅の僧侶「伴山」が諸国で見聞きした怪奇談を西鶴が記すという体裁の短編集です。創作か、実際の伝承をもととしたのか判然としませんが、現在日本に残る民話のなかには「人真似は猿の行水」をイメージさせる話があります。これらの民話がいつ頃広まったかは不明なものの、参考として2つの話をご紹介します。

   1つは、昭和12年に郷土教育のため水城尋常高等小学校が作成した『郷土読本 上巻』に収められている「サルヅカ」です。話の舞台は水城村となるものの、夫婦の子を猿が誤って熱湯に入れ死なせてしまう悲話が地域に伝わる話として紹介されています。もう1つは『読みがたり 大阪のむかし話』(※)で大阪泉北・泉南地方に伝わる話と紹介されている「サルの恩がえし」で、こちらは木こりの子を猿が誤って熱湯に入れてしまうものの、その傷を温泉で癒すという展開をとります。

   西鶴の作品を翻案した太宰は、ただ現代語に訳したのではなく、一層悲しい話となるよう人物描写や話の展開に手を加えています。西鶴を「世界で一ばん偉い作家」と表現しており、『新釈諸国噺』は短篇12本すべて西鶴の作品をもととしています。諸地方がまんべんなく舞台となるよう、九州地方の話として「人真似は猿の行水」が選ばれています。


※ 大阪府小学校国語科教育研究会「大阪のむかし話」編集委員会編「読みがたり 大阪のむかし話」2005年



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