太宰府と文芸

太宰府には、古くより豊かな文芸の土壌があり、当地で詠まれたか、あるいは当地へ思いを馳せて詠まれた和歌や俳句・詩などの作品が、現在に多く伝わっています。ここでは、市内に点在している、こうした作品を石に刻んだ文学碑についてご紹介します。(今後情報を追加する予定です)

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌碑 「大君の 遠の朝廷と・・・」




石碑所在地:朱雀大橋付近

大君の 遠の朝廷(みかど)と あり通ふ 島門(しまと)を見れば 神代(かみよ)し思ほゆ
(『万葉集』巻3 304)

 「朱雀大路」に面した、かつて「遠の朝廷」と謳われた大宰府政庁跡を眺めることができる場所に、この歌碑は建っています。
   この歌は、歌人として有名な柿本人麻呂が筑紫に下る時に海路で詠んだ歌の一首です。ここに出てくる島門とは島々を門に見立てたもので、おそらく瀬戸内海の島々だと考えられています。
   大宰府が「遠の朝廷」と呼ばれた理由に、律令制下に置かれた地方最大の役所として、外国との交渉の窓口、西の防衛、また九州諸国をまとめるという役割を持っていたことが挙げられます。歌の世界でも、「遠の朝廷」は都から遠く離れた朝廷という意味で使われており、その多くが大宰府を指しています。人麻呂がいつ頃、この筑紫にやってきたのかは定かではありませんが、この歌からは彼が見たであろう景色を想像することができます。




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