太宰府の歴史

先史時代の太宰府の遺跡をはじめ、繁栄した古代太宰府、支配者がつぎつぎに代わる中世の太宰府とそこに花開いた文化、幕末の五卿の滞在と勤皇の志士や地元文化人との交わりなど、歴史の流れを紹介するとともに、太宰府の歴史を顕彰・再発見し失われつつある記憶をつなぎとめる取り組みが、江戸時代から行われていたことや、歴史文化を活かした事業をとおして、本市の地域性・風土が形成されてきたことを紹介します。

太宰府のあけぼの


水晶でつくられた石器(旧石器時代)

 太宰府の地形は、主に北の三郡(さんぐん)山地・南の脊振(せふり)山地と、その間につらなる谷平野(二日市低地帯)から成っています。基盤は花崗岩(かこうがん)で、今から9,300万年前の白亜紀後期、太平洋プレートがアジア大陸に沈み込むときに生じたマグマによってできました。
   今にみることのできる地形のなりたちに大きく関わったのが、9万年前の阿蘇山(あそさん)大噴火です。このときの火砕流が堆積し、河川の流れを変え、それが谷と台地をつくり、福岡平野と筑紫平野をむすぶ回廊のような谷平野をつくりました。
   こうしてできた台地が、人々の生活の場となりました。太宰府地域のあけぼのです。
※本文は『太宰府市市制施行30周年記念 まるごと太宰府歴史展図録』(平成24年発行)より転載

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