太宰府の歴史

先史時代の太宰府の遺跡をはじめ、繁栄した古代太宰府、支配者がつぎつぎに代わる中世の太宰府とそこに花開いた文化、幕末の五卿の滞在と勤皇の志士や地元文化人との交わりなど、歴史の流れを紹介するとともに、太宰府の歴史を顕彰・再発見し失われつつある記憶をつなぎとめる取り組みが、江戸時代から行われていたことや、歴史文化を活かした事業をとおして、本市の地域性・風土が形成されてきたことを紹介します。

大宰府の繁栄

  7世紀のおわり頃から、日本は中国にならい、律令(りつりょう)法典にもとづく国づくりを本格的にはじめました。
   大宰府は、西海道(さいかいどう)9国3島を管轄し、また日本の軍事・外交にたずさわる役所として位置づけられます。
   その長官(大宰帥/だざいのそち)には、皇族や中納言クラスの上級貴族(公卿/くぎょう)が任命されました。これは朝廷の省の長官よりも高い地位で、任務の重さがうかがえます。
※本文は『太宰府市市制施行30周年記念 まるごと太宰府歴史展図録』(平成24年発行)より転載

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