太宰府の民俗
8王城神社
通古賀区(とおのこがく)は、北は観世音寺区、坂本区、国分区、西は向佐野区と吉松区、東は旧片野と五条西区、南は筑紫野市に接しています。地名の由来について『筑前国続風土記拾遺』に、筑前国衙(ちくぜんこくが)があったことによると書かれており、通りは「大道」、古賀は「国衙」を意味していると考えられています。発掘調査からも、市や官人の居住を思わせる遺跡や遺物が多く出土し、古い時代より交通の便が良く、開けた土地だったことが分かります。
通古賀区の氏神は王城神社(おうぎじんじゃ)で、旧水城村に点在する十社の代表社です。祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、由緒については寛政2年(1790)に記された『王城神社縁起』に、神武天皇が大城山の山中に武甕槌命(たけみかづちのみこと)と事代主命を祀り、その後、天智天皇四年(665)に都府楼を築いた際、事代主命を筑前国衙庄に移し、「大城大明神」として崇め奉られたと記されています。
通古賀区の氏神は王城神社(おうぎじんじゃ)で、旧水城村に点在する十社の代表社です。祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、由緒については寛政2年(1790)に記された『王城神社縁起』に、神武天皇が大城山の山中に武甕槌命(たけみかづちのみこと)と事代主命を祀り、その後、天智天皇四年(665)に都府楼を築いた際、事代主命を筑前国衙庄に移し、「大城大明神」として崇め奉られたと記されています。