太宰府の民俗


7鹿嶋神社


  榎区(えのきく)は太宰府市の中央部に位置し、西は通古賀区、北は五条西区、南は筑紫野市に接する大字「南」の内の小字「隈」と「芝原」の一部を示します。ここは、かつて片野村(かたのむら)と呼ばれており、南北朝期からその名を確認することができます。榎区には菅原道真が都より伴ったという、息子である「隈麿(くままろ)の墓」や、陰陽師の安倍清明(あべのせいめい)が開いたとされる「清明の井」などの伝説が残されています。
  榎区の氏神は鹿嶋神社(かしまじんじゃ)で、祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)です。かつては片野村全体の氏神でしたが、現在は榎区だけで奉仕されています。お宮の成立年代については分かっていませんが、地域には、榎の旧家である菊武家の先祖が、鹿島神道流の極意を授けられており、その崇敬神(すうけいしん)である鹿嶋明神を勧請(かんじょう)したという伝承が残されています。また、明治5年(1872)には村社に定められています。

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