太宰府の民俗

太宰府市には、長い歴史の中で生まれた、多彩な物語や言い伝えが数多く残されています。しかし現在、社会状況の変化による影響などから、こうした物語が語り継がれなくなりつつあります。ここでは、古くから太宰府に伝わるさまざまな伝説についてご紹介します。


石こづんばば(いしこづんばば)


 四王寺山の太宰府口城門跡にある石垣と礎石の左側に、石を小山のように積み上げた場所があります。ここには「石こづんばば」という、岩屋城(いわやじょう)落城にまつわる物語が伝わっています。
   天正14年(1586)夏、九州制覇を目指し北上した薩摩の島津勢に攻められ、この一帯を治めていた大友家家臣の高橋紹運(たかはしじょううん)は、四王寺山中の岩屋城に立て籠もりました。籠城した兵の数はおよそ700余り、一方の島津勢は数万の軍勢で押し寄せました。しかし、堅固な岩屋城と紹運の知略に富んだ応戦により、島津勢は多数の死傷者を出す結果となりました。攻めあぐねた島津勢は、城の水の手を断つことを考え、里の老婆に金を与えることを条件に、水口を案内するよう頼みました。金に目がくらんだ老婆は、水の場所を密告し、水を絶たれた高橋勢は遂に全員討ち死にしました。
  その後、水口を案内した老婆の噂が里に広まり、紹運を慕っていた里人たちは、老婆を捕らえて水場のそばに引き据え、上から石を積み重ね、生き埋めにしてしまったといいます。

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