太宰府の民俗

太宰府市には、長い歴史の中で生まれた、多彩な物語や言い伝えが数多く残されています。しかし現在、社会状況の変化による影響などから、こうした物語が語り継がれなくなりつつあります。ここでは、古くから太宰府に伝わるさまざまな伝説についてご紹介します。


塩売大黒さま(しおうりだいこくさま)


  太宰府市と筑紫野市にまたがる宝満山(ほうまんざん)は、古代から霊峰として崇められ、山麓には寺院が営まれました。特に最澄(さいちょう)が唐への旅の安全を祈って山にこもってからは、学問僧や山伏・僧兵などが集まり、九州における天台宗(てんだいしゅう)の中心として栄えました。
  ある年の冬、雪に降りこめられた山伏たちが、塩が底をつき困っていたところ、坊の台所に塩が届けられているのを見つけました。「こんな大雪の中を誰が・・・」と不思議に思い外を見ると、雪の中に草鞋(わらじ)の跡が続いていました。それを辿っていくと「奥の坊」に着き、扉を開けてみると本尊として祠られ、最澄が心を込めて刻んだと伝えられる大黒さまの前に、雪を踏んだ草鞋がありました。人びとはたいそう喜びこの像を「塩売(振)大黒さま」と呼んで、崇めたということです。
  明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により山伏たちとともに山を追われた大黒像は、現在福岡市の宝照院(ほうしょういん)に安置され、12月2・3日にその姿を拝することができます。

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