太宰府の民俗
太宰府市には、長い歴史の中で生まれた、多彩な物語や言い伝えが数多く残されています。しかし現在、社会状況の変化による影響などから、こうした物語が語り継がれなくなりつつあります。ここでは、古くから太宰府に伝わるさまざまな伝説についてご紹介します。
神牛塚(しんぎゅうづか)
県道五条の信号を、北へ約100メートル進んだ左手に、「神牛塚の碑」が建っています。その碑の後ろには、「神牛塚」の伝説が伝わる自然石があります。
昌泰4年(901)、右大臣から大宰権帥に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)は、都に戻ることなく2年後に太宰府で没しました。道真の亡骸(なきがら)は、遺言により太宰府の地に葬ることになりました。亡骸を牛車に乗せて墓所に運んで行く途中、牛が急にうずくまり動かなくなってしまいました。そこで人々は、ここに葬ってほしいとの思し召しだろうと、その場所に葬り、安楽寺(あんらくじ)としました。務めを終えた牛は、帰り道に突然倒れ、死んでしまったため、憐れんだ人々は塚を建てて供養したといわれています。
昌泰4年(901)、右大臣から大宰権帥に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)は、都に戻ることなく2年後に太宰府で没しました。道真の亡骸(なきがら)は、遺言により太宰府の地に葬ることになりました。亡骸を牛車に乗せて墓所に運んで行く途中、牛が急にうずくまり動かなくなってしまいました。そこで人々は、ここに葬ってほしいとの思し召しだろうと、その場所に葬り、安楽寺(あんらくじ)としました。務めを終えた牛は、帰り道に突然倒れ、死んでしまったため、憐れんだ人々は塚を建てて供養したといわれています。