歴史の散歩道(史跡スポット)

筑前国分寺跡
筑前国分寺跡

3筑前国分寺跡(ちくぜんこくぶんじあと/国指定史跡)


筑前国分寺跡
 筑前国分寺跡は、大宰府政庁跡の北西約1kmのところに位置します。奈良時代中期、天然痘(てんねんとう)の流行や飢饉(ききん)、内乱などの社会不安が続いたため、天平13年(741)2月、聖武天皇は仏法により災いを払い、国を護るために「国分寺建立の詔(みことのり)」を発し、全国に68もの「国分寺」と「国分尼寺」を造らせました。国分寺の正式名は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といい、僧侶を20人置く決まりになっていました。
  各国分寺には、「国の華」となるように塔が造られており、筑前国分寺にも「七重塔」が造られました。また、「七重塔」の他にも荘厳な建物が並んでおり、今でも講堂や塔の礎石からその堂々とした姿が想像できます。
  近年、発掘調査を通じて、同じ聖武天皇の命で造られた寺も、ところによって建物の配置や敷地の広さなどが違うことがわかってきました。筑前国分寺の場合は、塔や講堂などの建物の土台部分である基壇(きだん)の化粧として、瓦が用いられていたことが確かめられました。このような瓦積みの基壇は全国的にも珍しく、あまり例がありません。
  現在、筑前国分寺跡には発掘調査に基づいて、瓦積(かわらづみ)基壇の講堂跡や回廊跡などが平面復元されています。七重塔については、1/10の大きさの復原模型が、太宰府市文化ふれあい館の屋外に展示されています。

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