歴史の散歩道(史跡スポット)

大宰府学校院跡
大宰府学校院跡

6大宰府学校院跡(だざいふがっこういんあと/国指定史跡)


大宰府学校院跡
 府学校とは、古代の大宰府に置かれた役人を養成するための機関です。中央には大学(だいがく)、地方には国学(こくがく)という、官人を養成するための機関が置かれていました。国学は国ごとに置かれる規定になっていましたが、筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後の6カ国には設置されず、6カ国から200名以上の学生が集まって府学校で学んでいました。また入学できるのは、郡司など豪族の子弟に限られていました。
  府学校には明経(みょうぎょう=政治学)・算・医の3学科があり、「明経」では『論語』『孝経(こうきょう)』などの中国の書物を主に勉強し、「算科」では税の計算の仕方などを、「医科」では医学を学びました。
  奈良時代の学者・政治家として名高い吉備真備(きびのまきび)は、遣唐使の一行として唐に渡り、儒学や天文学・兵学・音楽などを学んで帰国、多くの典籍、武具、楽器などを持ち帰りました。天平勝宝3年(751)に筑前守(ちくぜんのかみ)となった真備は14年間を九州で過ごし、再度入唐して帰国した後、大宰大弐(だざいのだいに)となって府学校の整備に努めたことでも知られています。
  後に、学校院を学業院(がくぎょういん)とも書くようになり、現在の学業院中学校の名にも使われています。

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