歴史の散歩道(史跡スポット)
8観世音寺(かんぜおんじ)
観世音寺は、白村江(はくすきのえ/はくそんこう)の戦いの際に、百済(くだら)救済のために九州に下った斉明天皇(さいめいてんのう)が、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)で亡くなったため、その子である天智天皇(てんじてんのう)が供養のために発願(ほつがん)した寺で、発願から80年後の天平18年(746)に完成しました。西海道(さいかいどう)最大の規模を誇り、「府の大寺」といわれ九州の寺の中心的存在として繁栄しました。天平宝字5年(761)には観世音寺内に「戒壇(かいだん)」という、僧尼(そうに)として守るべき戒律(かいりつ)を授ける場が置かれ、西海道諸国から僧尼が集まりました。
創建当時は堂宇(どうう)が建ち並び、講堂や金堂の中には多くの仏像が安置されていました。しかし度重なる火災や大風により建物はなくなり、創建期の仏像も、火災による焼失や転倒による破損などによって失われました。その後講堂と金堂は、福岡藩主黒田氏によって江戸時代の初めに再建されました。
現在、観世音寺には日本最古の梵鐘(ぼんしょう)や平安時代から鎌倉時代にかけて制作された仏像が残されており、梵鐘は国宝に、仏像はすべてが重要文化財に指定されています。
創建当時は堂宇(どうう)が建ち並び、講堂や金堂の中には多くの仏像が安置されていました。しかし度重なる火災や大風により建物はなくなり、創建期の仏像も、火災による焼失や転倒による破損などによって失われました。その後講堂と金堂は、福岡藩主黒田氏によって江戸時代の初めに再建されました。
現在、観世音寺には日本最古の梵鐘(ぼんしょう)や平安時代から鎌倉時代にかけて制作された仏像が残されており、梵鐘は国宝に、仏像はすべてが重要文化財に指定されています。