歴史の散歩道(史跡スポット)

戒壇院
戒壇院

7戒壇院(かいだんいん)


戒壇院
  戒壇とは、僧侶としての規範である「戒律(かいりつ)」を守ることを誓う儀式が行われる場所のことで、筑前の戒壇院は天平宝字5年(761)、観世音寺(かんぜおんじ)の境内に建てられました。
  出家し、戒律を受けて僧になることを得度(とくど)といい、国家の許可が必要でした。得度した者には課役が免除されるという特権があったため、役を免れるために、許可を得ることなく出家する者が増えました。このような僧侶を私度僧(しどそう)といい、税の減収につながり、国家の基盤を脆弱(ぜいじゃく)にするため、許可なく僧侶となることは禁止されていました。
  奈良時代、僧尼の質を高め、正統な授戒(じゅかい)を行うため、政府は唐より戒律を授ける伝戒師(でんかいし)・鑑真(がんじん)を日本に招きました。鑑真は五度の渡航に失敗し、失明しながらも、六度目の渡航で薩摩(さつま)に到着、大宰府を経由して奈良へ入りました。そして、正式な僧尼として認めるための受戒の場として、奈良県の東大寺と栃木県の下野薬師寺(しもつけやくしじ)、大宰府の観世音寺に戒壇院が造られました。この三つをあわせて「天下三戒壇」とも呼ばれます。
  中世、観世音寺の荒廃とともに戒壇院は衰退しましたが、江戸時代に再建され、現在は観世音寺から独立し、禅宗(ぜんしゅう)の寺となっています。なお本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)は平安時代末の作で、重要文化財に指定されています。

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