歴史の散歩道(史跡スポット)

筑前国分尼寺の礎石
筑前国分尼寺の礎石

2筑前国分尼寺跡(ちくぜんこくぶんにじあと)


筑前国分尼寺の礎石
 天平13年(741)、聖武天皇の命令によって、全国に国分寺とともに造られた尼寺(あまでら)のことを「国分尼寺」といいます。その一つである筑前国分尼寺は、江戸時代に描かれた絵図などから、国分寺の西側に建てられていたことが知られています。正式名を「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といい、尼僧を10人置く決まりになっていました。
  発掘調査により、その正確な位置をはじめ、国分寺が建物の土台に、柱などを支える石を使った礎石(そせき)建物であるのに対して、国分尼寺は掘立柱(ほったてばしら)建物であったことが明らかとなり、柱の穴の大きさから、柱の太さが直径35~45cmだったことまでわかりました。尼寺の規模は、国分寺に比べてやや小規模の建物だったようです。また、出土品から尼寺が100年ほどしか存続しなかったことも明らかになりました。

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